2010年9月25日土曜日


 写真は旧堀田家住居の2階から写した庭園です。この庭園は、昭和63(1988)年に愛称を公募し、現在は「さくら庭園」と呼ばれています。この庭を作ったのは、最後の佐倉藩主「堀田 正倫」氏で、明治維新後の東京深川から佐倉に住居を移す際に、住居の建設と併せて整備したものだそうですから明治23(1890)年頃に作られたものでしょう。庭師「伊藤 彦右衛門」氏による作庭は、芝を中心に松やサルスベリなどの樹木と庭石や石灯篭を配置した明治様式で、高崎川と対岸の六崎の台地を借景にして眺望を楽しめるものだったそうです。

 私が小学生の頃は未だ木々の梢越しに六崎、石川方面が見えていたように記憶していますが、現在は前面の傾斜地の樹木が大きくなり、眺望を楽しむことはできません。写真には杭で囲まれた松の木が見えますが、よく見ると切り株が残っています。3本の松が扇型のように植えられていましたが、中央と向って右側の松を残し、左側の松は5年前に枯れてしまいました。さらに以前は、もう一本あったようで、近くでみると古い切り株が芝に埋もれています。

 庭園奥の石灯篭を覆うように茂っていた松(被り松)も枯れてしまいましたが、こちらは平成20(2008)年2月に新しく植栽され復元されました。

 この庭園は平成13(2001)年3月30日に千葉県指定文化財名勝に指定されています。ぜひ、往時の借景も復元してもらいたいものです。なお、庭園は無料で開放されていますが、旧堀田家住居には入場料(大人310円)がかかります。2階には通常は入れませんが、年に数回特別公開の日があります。

2010年9月19日日曜日


 昭和40年代に入り、マイカー時代を迎えると佐倉市内の乗用自動車保有台数も急激に増加していきました。ちなみに昭和36年の乗用自動車保有台数は市内で46台、貨物自動車は424台でしたが、昭和46年には乗用自動車4404台、貨物自動車3335台となり、乗用車の台数が貨物自動車を初めて上回ったそうです。

 自動車の交通量が増加していくことに伴い、交通事故も増えてきました。そこで、日本国内に数多くの歩道橋が設置されていきました。写真の上志津歩道橋が設置されたのも昭和46年のことでした。

しかし、これもまた時代の趨勢でしょうか、平成年代に入ってからは、少子高齢化により利用者の減少した歩道橋が国内各地で撤去されているというニュースを聞きました。そして、上志津の歩道橋も老朽化と利用者の減少という理由で、地元の自治会からの要望もあり、国道296号の歩道整備工事に併せて、平成20年5月に撤去されました。
 歩道橋の上からは、佐倉市役所志津出張所の先にOKストアの建物が見えました。OKストアは、以前はイトーヨーカドー志津店でしたが、平成9年5月に閉店しました。

 なお、国道296号が県道から国道に昇格したのは、昭和35年3月のことだそうです。

2010年9月12日日曜日

 六崎歩道橋は、昭和55年3月に完成しました。踏切が廃止されて六崎から国鉄佐倉駅への通行不便を解消することが目的だと思います。ただし、歩道橋ですから徒歩と自転車しか通れませんから、大きな荷物をもつような場合は、自動車かバスで新道を経由しないといけませんでした。

 歩道橋の入口手前には二重の車止めが設置されています。歩道橋の完成当時は、この車止めはありませんでした。それで自転車に乗ったまま降りてくる人が多く、危ないという訴えがあったからでしょうか、暫くして車止めが設置されました。自転車を降りて上り下りをするように期待したのでしょうが、運転のうまい人は、やはり乗ったままで車止めを抜けていきました。それでもスピードは落とさざるを得ませんから効果はあったのでしょう。
 ところで、完成からすでに30年が経過し、あちらこちらに錆が出ていますし、橋の上の通行部分も傷みが目立ってきました。地元では補修を要望しているそうですが、予算がつかないのでしょうか、線路の上部分だけは塗装し直されましたが、両端はそのままです。

2010年9月5日日曜日


 高岡で見た「おだがけ」です。佐倉周辺では、稲架を「おだ」と言います。細い竹で三脚、二脚と交互に「おだあし」を組んでいき、その上に太めの長い竹を乗せて倒れないように縛るのが大体のパターンですが、地域によって多少バリエーションがあるようです。

 機械による乾燥が普及してから、おだがけの風景もめっきり減りましたが、現在も健在です。一手間かけて天日で乾燥したお米はやはり美味しさが違うようですが、なかなか食する機会もありませんので、話に聞くだけです。

 天気が良ければ、おだがけで稲を乾かすには4~5日もあればよいそうですが、天候に要注意です。この時期は台風が来ることも多いので、天気予報には耳を傾けないといけません。折角乾かした稲が水に浸かったりしたら、元も子もありません。昔は長雨に打たれた稲が芽を出してしまうこともあったそうです。