2010年8月29日日曜日


 2004(平成16)年の9月4日から5日にかけて千葉県北西部では激しい雷雨に見舞われました。4日の早朝から強く降り始めた雨は、夜明けとともに静かになってきたものの、その日の夕方から再び強くなり、午後8時過ぎに大雨洪水警報が発令されました。

 この集中豪雨は、翌日の朝方にようやく治まりましたが、佐倉市域での総雨量は、157.5ミリメートルに達し、市街地での河川堤防からの溢水こそなかったものの、3件の床上浸水、62件の床下浸水が発生したほか、多くの道路冠水が発生しました。

 写真は、高岡の跨線橋からJR佐倉方面を写したものです。高崎川があふれて、田圃が水に浸かってしまいました。一部の田圃では稲刈りを終えていましたが、多くの田圃では、稲刈り前の稲穂や田圃で干していた稲が浸かってしまい、大きな被害が出ました。 

 なお、写真では自動車が高岡橋を渡ろうとしていますが、やはり水位が高くて先へ進めず引き返して行きました。

2010年8月27日金曜日


 京成佐倉駅の北口にあったパチンコ店の裏の壁に描かれていた恐竜です。

 恐竜とパチンコ店の間にどのような関係があったのかは知りませんが、この恐竜が写実的かつ大胆に描かれていたことから、恐竜好きな人が描いたことは相違ないでしょう。

 残念ながらこのパチンコ店は既に廃業し、今は別の職種のビルになっていて、この恐竜壁画もありません。

 ところで、昔の空想科学特撮テレビ映画に、謎の宇宙線を浴びた怪獣の絵が実物になってしまうというエピソードがありましたが、この恐竜が壁から抜け出して佐倉の街を暴れまわるという機会は、永遠に失われてしまいましたので、ご安心ください。

2010年8月15日日曜日


 六崎地区にあるバス停の一つに「倉庫前」があります。でも、このバス停の周りを見回しても倉庫は見当たりません。もともとこのバス停は違う場所にあったのですが、バス路線の変更に伴い、バス停が引っ越してきたものです。 このバス停が元もとあった場所は、現在のJAいんば本所あたりで、JAいんばが佐倉市農協だった以前から農協の倉庫が立ち並んでいました。それらの倉庫の前のバス停なので、「倉庫前」という名称になったと思われます。 その後、渋滞の激しかった六崎踏切を迂回して鏑木から六崎までの新道が昭和42年4月に開通すると踏切は閉鎖され、バス路線も新道に移りバス停も現在の場所に引っ越しましたが、なぜか名称は「倉庫前」のままです。 なお、新町に「裁判所入口」というバス停があります。裁判所入口の通りまでは少し距離があるので、奇異に感じる人がいるかも知れません。もともとこのバス停は「東電前」という名称でした。その名のとおり、東京電力の支店の前にバス停があったのですが、支店が廃止になったことに伴い、バス停の名称も変更されました。東京電力の支店は教安寺の参道の脇にありました。現在は名残をとどめるものは何もありませんが、そのあたりを注意深く見ますと大きめの境界杭があります。もしかすると東京電力当時のものかも知れませんが、深く埋もれているので定かではありません。

2010年8月8日日曜日


京成佐倉駅前
 現在の京成佐倉駅周辺にパチンコ店は一店しかありませんが、少し前までは五軒のパチンコ店が競っていました。
写真中央の空地には現在マンションが建っていますが、以前は寿司店とパチンコ店とその駐車場がありました。手前右端はNTTのビルです。そのすぐ隣で奥の建物はミレニアムセンターです。

2010年8月3日火曜日


 国鉄からJRに変わっても佐倉駅の北口には空地が残っていました。駅に降りて右側のマンションと湯ぱらだいすが建ったあと、バスターミナルの奥にマンションの建設が始まったのは、2006年のことでした。このマンションが建設されるまで長く空地だったこの場所では、ミニ四駆大会が開催されたこともありました。今では、いずれの地方都市と同じように駅前マンションが目につく風景になってしまいましたが、佐倉から暫く離れていたあとで佐倉駅に降り立った時、駅前に広がる空の広さが故郷に帰ってきたことを実感させてくれたものでした。しかしながらそうはいっても、他の街に比べれば未だまだ十分に空は広いです。