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佐倉の街角記憶
私がすんでいた佐倉という街の記憶の断片をお知らせしていきます。
2010年6月27日日曜日
大崎台の団地造成
大崎台四丁目の団地が造成されて完成間近の頃の風景です。既に調整池はできあがっています。遠くの台地は寺崎の集落です。この台地の下を国鉄のトンネルが抜けています。この写真を撮影した場所は、藤倉電線株式会社の脇を通る山道のような所ですが、現在は植栽の樹木が大きくなっていて、見渡すことはできません。写真では小さな松の木が植えられているのが分かります。
2010年6月20日日曜日
国鉄線路の廃線跡
JRの四街道駅と佐倉駅の間の線路は、以前は寺崎の集落の北側を迂回して単線の線路が敷かれていました。その線路跡は寺崎の薬師堂脇の高台(城跡)から今も見ることができます。
写真をほぼ水平に走っているのは鹿島川で、四街道市と佐倉市の境界になっています。鹿島川に向かって手前から斜め左上に向かう直線が線路跡です。田圃より一段高くなっています。
写真の右端に県道佐倉停車場・千代田線が見えます。昔の線路は寺崎の集落でこの県道と並行して停車場(駅)に至りました。現在の線路は写真には写っていませんが、方向は左の方になります。
昭和43年2月25日にトンネルが開通し複線となりました。
2010年6月13日日曜日
佐倉機関庫遠景
国鉄佐倉駅の南西側には佐倉機関区がありました。地元の人は機関庫と言うことが多かったようです。機関区の周囲は殆ど田圃で、人家はまばらだったように記憶しています。
田圃の用水路ではドジョウやザリガニなどをつかまえて遊んだこと、丘陵の脇を流れる水路では夏になると蛍が飛んでいたことも覚えています。
写真は、大崎台の区画整理の工事が始まった頃で、既に田圃が埋め立てられています。遠くに佐倉機関区の建物が見えます。小さすぎて分かり難いですが、ディーゼル機関車も何輌か写っています。手前の造成された広い土地は、現在、整形外科医院の駐車場になっています。
2010年6月6日日曜日
国鉄佐倉駅の南側
写真はJR佐倉駅の南口入口辺りです。写真手前の家が建っている場所は、現在京葉銀行が建っています。以前の国鉄佐倉駅には南口はありませんでしたから、六崎の踏切を渡って北側に回って駅に行きました。
佐倉では貨物の入れ替えがあって、踏切がなかなか開かないことがよくありました。
写真では、手前の家の屋根越しに、新しい(現在の)佐倉駅の南口の鉄骨が見えます。そこから右側に以前の佐倉駅の跨線橋が見えます。
小さくてよく分からないかも知れませんが、遠くに佐倉パークレーンのボーリングのピンも見えます。
2010年6月2日水曜日
国鉄佐倉駅の記憶
写真の国鉄佐倉駅の駅舎は昭和13年に改築されたものです。新駅の建設により昭和59年に取り壊されてしまいましたが、木造平屋建てで趣のある駅でした。
正面入口から入ると、右側が切符売り場、左側が待合所で、待合所の長椅子には老人クラブの方々から寄贈された座布団が乗っていたと記憶しています。
左手手前側に売店があり、売店の斜め右上にはテレビがありました。
手の届かない高いところにあったので、どうやって電源を入れ、チャンネルを変えるのか気になりました。 その頃は、リモコンなんかありませんでしたから。
なお、佐倉に駅ができたのは、総武鉄道会社により千葉県で始めての鉄道が市川~佐倉間に開通した明治27年7月のことだそうです。
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